2010年2月21日日曜日

労働時間に対する悪しき価値観と、組織の長としてすべきこと。

労働時間に対する悪しき価値観

起業してからもうすぐ1ヶ月が経とうとしているが、自分自身に労働時間に対する悪しき価値観が刷り込まれていると痛感している。

正直言うと、こんなことを記録に残すのは格好悪いとおもうのだが、知識創造企業を標榜する以上、可能な限り自分の中の暗黙知を表出化しておかなければなるまい。

ここでの労働時間に対する悪しき価値観とは何かというと、労働時間の長さに価値を置くことである。

では、なぜ悪しき価値観なのかというと、以下のような理由からである。
  • 労働は手段であって目的ではない。
  • 労働にはコストを伴うため、労働時間は少ないほどよい。
  • 労働時間の長さに対する価値感は、ムダな長時間労働を助長する。
  • 労働時間の短い人、つまり優秀な人への軽視につながる。
このように、長時間労働は組織にデメリットしかもたらさない。


上長のいる場合、上長のいない場合

会社勤めやフリーランスの時は、必ず上長(レポート先の人)がいる。仕事は上から降ってくるか、組織内の自分の役割に応 じた仕事を自分で見つけるかのどちらかだ。この場合、目的が明確な場合が多く、そうでない場合でも上長に確認を入れることで目的をはっきりさせることができる。

長い労働時間に価値を見出すのであれば、事前ミーティングの引き伸ばしや、無駄な作業工数の確保が効果的だ。逆に自分の場合は仕事をさっさと終わらせて帰る主義だったが、それでも1日の労働時間が8時間を割ることは多くはなかった。

しかし、上長がいない今、会社の理念やビジョンや戦略に関する思考は専ら自分の頭の中で開始され、メモ的な文書化を用いたブレストによる発散と収束を繰り返し、ほとんどの知識は自分自身の暗黙知にしかならず、ドキュメントが作成されたとしてもたいした量にはならない。自分が納得したという事実だけが残る場合も少なくない。このような場合、具体的な工数を測ることは難しく、また工数をつけたとしても工数に対するアウトプットが少ない。

このような状況になると、かなりの時間を仕事に費やしても見かけ上全く仕事をしていないように見えるため、労働時間に対する悪しき価値観が恐ろしいほど精神的苦痛の種になる。(実際、12月末から今まで、起きている時間はほぼ100%仕事に費やし、平均睡眠時間も3時間を割っているのだが、いちいちそのような工数をつけることはしていない。)

精神的苦痛は取り除かねばならない。


組織の長としてすべきこと

上長がいる人間は、自分の作業目標を設定し、上長に承認を受け、それを達成することにより自らの責任を果たす。目標を達成する限り、その目標が組織にとって有益であるかどうかは問われない。その上長も、さらにその上長も同様である。つまり、上長がいる限りは自分の作業目標の範囲内でのみ責任をとればよいことになる。(もちろん役職が上がるにつれ個人の目標設定と組織の因果関係は強くなるが)

しかし、組織の長の場合は組織全体に対して責任を持つ必要があり、結果を出す必要がある。結果を出すためには、理念やビジョンや戦略が重要となり、それらを常に考慮し、保守し続ける必要がある。この作業の大部分は工数として見えるようなものではないので、自分以外に認識されることはほとんどない。そうなると、このような作業に膨大な時間をついやしても、全く何もしていなくても、自分以外からはわからない。

もちろん、このような作業の結果すべてを形式知として公開することは可能かもしれないが、起業直後のベンチャー企業でさえ、理念を背景知識も含めて形式知化しようとしたら何年かかるかわからない。(学術論文の緻密さで企業の理念を記述することを考えれば自明でしょう。)

そう考えると、組織の長に対して労働力や成果物の量という物差しを適用すること自体がナンセンスだと考えるのが妥当でしょう。そもそも測りきれるはずがないし、測ろうとする工数は割に合うものではない。

となると、組織の長は労働時間とか成果物とか全く気にせずに、会社全体として結果を出すことだけに行動し、結果にのみ責任を持てと考えるのが自然でしょう。

逆に、会社がうまくいっていないときに、『自分は寝ずに仕事してるんだ!』とか言って逆切れするような社長じゃダメだね(笑)

また、結果を出す以前に常に意思決定を行う準備が出来ていることも重要でしょう。それすら出来ていないのによい結果が出るとは考え難いし、よい結果が出たとしたら他の人が社長をやっても同等以上の結果が出せたと考えられますよね。

ちなみに、組織の長は利益が出さえすればよいのかというと、そんなことはありません。理念やビジョンや戦略については十分に形式化する必要があり、それをブレークダウンして担当者に落とし込む必要があります。そしてそれらをチェックする責任も生じます。社内の環境を良好に保つためには利益との関係の薄い問題にも対処する必要があるかもしれませんし、人事には最大限に注意を払う必要があります。つまり『責任を取る=利益を出す』ことではなく、利益を出すことは必要条件の1つであるに過ぎません。役所や特殊法人でもない限り、組織の長が楽をして会社がうまくいくはずがないのです。


(しかし、こんな小さいことを気にするようではまだまだですね、まったく、、、。)

TODO: 文章あとで見なおそうw

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